イーロン・マスク、科学者たちが20年間欲しがっていた脳直結装置をたったの4年で実現

わずか4年で理想実現のすごみ、Elon Musk氏の脳直結装置

Elon Musk（イーロン・マスク）氏が経営するスタートアップの米Neuralink（ニューラリンク）は2020年8月28日、脳に電極を直接埋め込むBMI（Brain Machine Interface）技術の進捗を明らかにした。
神経科学者としてBMIの研究を手掛けた経験があるハコスコ代表取締役の藤井直敬氏は、「BMI研究者が20年前から欲しかったものを、会社設立からたった4年で実現した」と高く評価する。
そのすごみを藤井氏に解説してもらった。（編集部）

前回（19年）の派手な発表と異なり、今回は地味な印象を受けた人が多いのではないか。前回はNeuralinkの試みがいかに先進的で、将来性があるものかという点を強調していた。
だからこそ、それを見た研究者も一般の人も驚いたし、今回の発表に期待していたはずである。
特に前回は「来年（20年）までに臨床試験を始められるようにする」というMusk氏の宣言があったので、今回はそれがどうなっているのかが関心の的だった。

結論からいえば、臨床試験はまだ始まっていない。しかし、米食品医薬品局（FDA）から、重篤な疾患／状況に対する効果的な治療／診断の提供を目的とした「Breakthrough Devices Program」の認定を20年7月に受けたという。
今後、臨床試験に向けた準備を進めることになる。
筆者の正直な感想をいうと、今回の発表は、BMI開発の様々な課題を確認できるとても興味深いものだった。
技術的な内容は前回とほとんど変わっていないようにみえるかもしれないが、BMI開発において解決しなければならない課題がよく分かる構成になっていた。

何よりも重要なのは、侵襲的な電極埋め込みのリスクを低減することである。
体の中、それも脳に異物を入れることは、脳内に感染の危険性をもたらす。
そのリスクを上回る利益がなければ、BMIを脳に実装する価値はない。

前回の発表で視力矯正手術のレーシックと同じ水準までリスクを低減すると語っていた。
今回は具体的な目標として、局所麻酔の日帰り外来手術とすること、手術時間を1時間以内にすること、費用を数千ドルに下げることを掲げた。
専用のアーム型ロボットで手術する。皮膚切開や開頭手術など全ての操作を自動化しているという。
カナダのデザインスタジオに設計を依頼したというそのロボットは、見る人に親しみやすい印象を与える柔らかな外観だ。

電極は、可能な限り大脳皮質上の血管を避けて刺入（針を刺し入れる）時の出血リスクを最小化しながら、田植えのように素早く埋め込まれていく。
そして、電極に接続された「N1」チップと電池が一体となった「LINK」デバイスを開頭した頭蓋骨部分にはめ込んで皮膚を閉じたら手術は終了である。
N1チップの役割は、電極周辺の神経細胞活動を含む微少な電位変化を増幅した上でデジタル値に変換したり、その波形を解析したりすることである。

ただし、電極刺入時に大脳皮質上の血管を避けたとしても、手術中の出血が必ずしもゼロになるわけではなく、ある程度のリスクは残っている。
出血は手術手技のあらゆる部分で発生する恐れがあり、本当にこのロボットだけで全てをまかなえるのか、筆者は正直なところ疑問に思っている。
外科医が常駐するのであればコストはあまり下がらないし、全てをロボットで自動化する意味がないかもしれない。

https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00924/00007/?P=2

ブタは経済動物なので、実験対象とすることへの動物愛護活動家からの非難を減らせることが考えられる。加えて、ブタには毛がほとんどないため、手術痕が目立たないことを簡単に伝えられる利点もある。
発表で何度も繰り返した「Happy Pig」という表現は、明らかに活動家を意識したものだろう。筆者の推測では、霊長類を使った実験も行っていると思うが、それに関する言及は一切なかった。

今回の発表の直後に別の動画を公開したことはご存じだろうか。この動画は、ブタの健康について精神的ストレスも含めてケアしていることを強調するものだった。
このような動画の存在は、裏を返せば活動家からの圧力がいかに強いかということを物語っている。
人への臨床試験を控えている同社としては、この段階で活動家に攻撃されることは大きな痛手になる。

また、最初にMusk氏が宣言した通り、今回の発表は人材募集が大きな目的となっている。そのため最初から最後までチームの雰囲気の良さを強調していた。
BMIの開発は、多様な技術が組み合わさった総合格闘技のようなものである。多様な人材に興味を持ってもらうためにも、今回のような発表は必須だったのだろう。

印象的だったのは、恐らく給与水準が大きく異なるはずのチップ開発者と動物飼育管理スタッフを発表の場に同席させたことだ。通常なら、そんなことはまず考えられない。
だが、Musk氏は動物飼育管理スタッフを自分と同列に並べ、さらに会社の将来について語らせた。
そういう点でも、今回の発表は全ての情報発信が緻密にコントロールされていた。
果たして「期待外れ」なのか

技術面の進展といえるのは、前述の通りN1チップと電池がLINKデバイスとして一体となり、脳の実装部位に収まるように小型化したことくらいかもしれない。
この電池は、ワイヤレス充電が可能である。他にも改善した点はあるのだろうが、そんなことを細かく説明しても意味がないので発表ではほとんど触れていなかった。
開発したチップは極めてユニークなものであり、他のチップと比較する必要がないからだ。
N1チップと電池を一体化したLINKデバイス。頭蓋骨部分に収まる大きさである。
前回の発表では、N1チップとは別の通信用デバイスを耳の後ろの皮下に埋め込む構想だった（NeuralinkがYouTubeで公開している動画をキャプチャーしたもの）

技術面の言及に乏しいことから、今回の発表を「期待外れ」と評するメディアがあったのは十分に理解できる。
Neuralinkが掲げる目標を達成するには、まだまだ課題が山積みだ。
しかし、LINKのようなデバイスはBMI研究者が20年にわたって喉から手が出るほど欲しかったものであり、それをたった4年で実現したことは最大級の称賛に値する。
しかも、FDAからの認定を受け、これから臨床試験が始まるというのだから、何の文句があるだろうか。
他の誰かがまねしようとしても、これほど順調には進まないだろう。

期待外れと評するのは簡単だが、多くある課題の輪郭が明確になれば解決できる可能性が高まる。
個人的には開発した技術を多くの研究者に提供してコミュニティーを築いてほしい。BMIは、1社だけでやるにはハードルが高過ぎる。

Musk氏が手掛ける米Tesla（テスラ）や米Space Exploration Technologies（スペースX）と比べて、Neuralinkが製品やサービスを世に送り出すまでにはもう少し時間がかかるかもしれない。
なぜなら、自動車や宇宙輸送には数十年から100年近くにわたる技術の蓄積があるのに対し、BMIにはそのような蓄積が少ないからである。
とはいえBMI研究者としては今後の進展が楽しみでしかたない。国内にもNeuralinkに匹敵するBMIスタートアップが生まれることを願ってやまない。