【画像】なぜ我々はリクルートパンプス女がタタミの部屋に上がる光景にゾクゾクするような魅力を感じるのか

1 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 11:43:43.888 ID:raWlgxr40
レス1番の画像サムネイル
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レス1番の画像サムネイル
レス1番の画像サムネイル
OLの職業制服やJDのリクスー→礼儀を徹底した公的な格好
畳みの和室→私的な空間
ハイヒールでタタミ→礼儀を徹底した格好なのに座敷で絶対あり得ないという違和感

このギャップというかそういうのがいいんじゃないか?

2 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 11:44:04.726 ID:w/BEadQ2d
いつもの
6 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 11:50:00.144 ID:raWlgxr40
>>2
日本人男性の9割はこういう光景が好きだという統計が出てる
3 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 11:44:41.436 ID:24qwtzdlM
もうちょっと学術的に考察しなさい
8 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 11:50:25.188 ID:raWlgxr40
>>3
わかった
まってろ
4 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 11:45:38.490 ID:GJ5xt+ox0
我々っておまえと一緒にしてほしくないんだが
5 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 11:49:42.633 ID:raWlgxr40
>>4
こういうの好きだろ?
レス5番の画像サムネイル
7 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 11:50:22.498 ID:igMFShfd0
クレーム言って謝罪セックスは人生賭ける価値はあると思います
人生が3アウト制だったら1アウトこれで使うかも
9 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 11:52:29.933 ID:raWlgxr40
>>7
その心は?
10 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 11:53:14.571 ID:Rt7iHbJq0
この画像10回は見た
12 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 11:57:53.600 ID:raWlgxr40
>>10
なぜリクルート・パンプスという
ハイヒール本来のフェミニンさやセクシーさや美しさを徹底的に殺した地味な靴ほど
それが「際立つ」のか
レス12番の画像サムネイル
レス12番の画像サムネイル
我々は専門家のあらゆる言及を結集しついに真理に気づいた
11 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 11:56:36.315 ID:raWlgxr40
制服って言ってももちろんJKじゃないからな
こういう感じのいかにも「ザ・真面目で清楚な日本の従業員」
レス11番の画像サムネイル
さもなければ就活女子のリクルートスーツ娘だ
レス11番の画像サムネイル
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レス11番の画像サムネイル
レス11番の画像サムネイル
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13 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 11:58:33.846 ID:raWlgxr40
そして、日本では確かに家のほかお寺、会社のオフィス、旅館や料理店などでも靴を脱ぐことが当たり前になっているとしたうえで、その理由について分析している。

 理由としてまず最初に挙げたのは、日本人が持つ「境界線」の意識だ。文章は、「あらゆる物事にはみな『境界線』があり、やっていいことと悪いこと、入っていい場所と悪い場所がはっきり区切られている」という価値観が日本人にあると紹介。その例が神社の鳥居であり、お寺の山門であるとした。

 そのうえで、古くより境界線の外にあるものは汚れていると考えられ、軽々しく中に入れることは忌み嫌われてきたとし、現在でも靴を脱ぐことにより内と外が明確に分け隔てられているのだと説明。また、日本はもとより雨が多い気候風土であり、雨が降れば履き物が汚れやすかったため、汚れを屋内に持ち込まないようにするために玄関で靴を脱ぐという実用的な要因もあったと伝えた。

 文章はさらに、「内」と「外」という考え方は生と死を隔てる意味合いも持っているとし「強烈な生死観を伴う『境界線』という伝統的な意識を持つ日本人は、特に教育をしなくても半ば本能的に内と外を明確に分ける行動が習慣化するのである」と論じている。
http://news.searchina.net/id/1690788?page=1

14 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 11:59:10.589 ID:raWlgxr40
日本人が玄関に入ると靴を脱ぐ。畳の和室に入る場合は、スリッパも履いてはいけない。トイレと浴室は多くの場合分かれており、トイレに入る時にはスリッパを履き替える必要がある。さらに、幼稚園から高校までの間、教室に入るときは履いてきた靴を学校指定の上履きに履き替える。多くは白色だ。体育の時には運動靴に履き替えもする。
(中略)
そして、学校で靴を脱ぐ別の大きな理由は、家庭環境がどうあろうと学校ではみんな平等だということを子どもたちに知らせることだ。服や靴を統一するのは平等化の為だ。小さいころから責任感と、見栄を張り合わない思想を育むことが、日本の学校における人格教育の柱であり続けているのだ。
https://www.recordchina.co.jp/b176066-s0-c60-d0135.html
15 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 12:05:02.401 ID:raWlgxr40
上の2つの論考から見えるもの
キーワードは「境界線」と「平等」である

まず境界線というのは一種の日本人の宗教観に由来する
「神社の鳥居であり、お寺の山門」とあるが、日本家屋であっても、昔の屋敷なら公道から敷地内に入るさいに塀や生垣を挟んで門柱をくぐる
門柱をくぐった後は飛び石があり、やっと玄関だ。そして靴を脱ぎ、板張りの廊下や縁側に通じて「畳の和室に入る場合は、スリッパも履いてはいけない」という風に至る
この一連の過程で、日本人は幾度となく外側から内側への空間に切り替わる、もっとも「敷居が高い」空間が和室だということだ

そして靴を脱ぐ=平等ということ
制服姿とかパブリックな場面での格好は、不平等性をも意味する
会社員の居酒屋の座敷の宴会が「無礼講」なのも靴を脱げば普段の緊張がほぐれるからだ

畳の間にハイヒールという絶対あり得ない光景は境界線をあえて突破し、不平等で「地に足着いた」状態を意味する
それにはそこはかとない魅力が生じる、というわけではないだろうか

16 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 12:05:32.809 ID:raWlgxr40
10.足の文化 
次は、では日本人と「足」はどうなるのかとなります。農耕民族の日本人は手でした。大平原を彷徨う狩猟民族は健脚でなくてはならぬ「足」です。サッカーは足で球を蹴りますが元々はフットボールから進化したのです、フットボールの起源はイギリスです。彼らにとり足こそ生活の基礎、健脚でなくてはなりません。だから足のスポーツが盛んです。

「足」の文化です。彼らは、長さの単位を、フィート、フットと足で測ります。

日本では、両手を広げて、一尋ひろ、二尋と言いまして、手の指の長さで一寸、二寸と測ります。      

自転車のブレーキも日本では「手」でかけますが、彼らは「足」でかけます。

日本は、手をマメに動かして「手で稼ぐ」民族ですが、彼らは「足」でマメに歩いて「足」で稼ぐことになります。大平原では、いくら手を動かしてもカネにならないからです。彼らは「足が早い」、我々は「手が早い」。こちらが「手柄」を立てる時に、彼らは「足柄」をたてる。こちらが「手拍子」で「手踊り」するのに、彼らは「足拍子」です、即ち、タップやフラメンコをせわしく陽気に踊る。

日本の祭りでは、佐渡おけさ、阿波踊りでも「手踊り」が中心ですが、西欧のダンス、バレエ、宝塚や日劇ダンシングチームの出し物は脚線美の芸術です。これが「手で舞う」のと「足で踊る」のとの違いです。

こちらが「手がかり」をつける時、彼らは「足がかり」をつける。お手並みと足並みの違い、「手軽」を尊ぶ習性と、「足軽」を尊ぶ習性の違いとなりますか。日本人は狭い土地で暮らすので「手をまめに動かして」たやすく行動する。よい意味で手軽を使う。しかし、ちょこちょこと、手軽に歩き回る人のことを「足軽」と申して身分の低い者として軽蔑する。足の文化ではないのですね。

日本人だけが下駄を履きます。靴と下駄の文化の違いは決定的です。広い大地をダイナミックに移動するためには、靴でなくてはできません。下駄は長距離の歩行には無理、村の中の移動、土と泥の風土に最適な履物です。

欧米人は靴は一日中履いている。家の内外を問いません。なかば身体の一部のようです。だから足と体の生理のファッションとして靴への関心は極めて高い。靴専門ドクター、foot surgeon という足の専門の外科医もいる。靴の処方箋を書く、最適な靴処方箋を作る。洋服を替えるように好みの靴に履き替える。日本人は靴一足で通勤もパーティも使う。靴の字を分解しますと、革が化ける、まさに牧畜民族の所産であります。
http://www.ncn-t.net/kunistok/5-1-toku-hikakubunmei-2-.htm

18 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 12:08:32.496 ID:raWlgxr40
>>16-17
これは日本人論を考察した論文からの抜粋だが
「海外は足の文化、日本は手の文化」という違いがはっきり分かれている
日本人は農耕民族で島国であり、大陸の狩猟民族との歴史が違うのだ

ハイヒールというのは土足が基本の「足の文化」の西洋の発明品であるし、
それとともに制服やスーツは着物だった封建時代と決別した日本人の欧米化によって切り替わったものだ

そこには「世界標準的礼節」と「日本的礼節」の矛盾も生ずるのだ

17 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 12:05:40.224 ID:raWlgxr40
下駄は植物の多い日本ならではのものです。湿った日本の土地では、足が土から離れるほど快適だからです。日本の家屋と縁があるのは風を通すため、神社が高い階―きざはしーがある高床式と共通する風土の知恵の所産でありましょう。

欧米には下駄箱というものがない。モース博士も感心した。日本だけの現象です。土と泥の風土の日本では、履物は必ず玄関で脱ぎ下駄箱に入れて座敷に上がる。泥のついたまま相手の座敷に上がるなど侮辱であります。内と外を玄関ではっきり区別する。欧米人は乾燥した石の上で暮らす、土足のまま家に入る。ベッドで初めて脱ぐ。彼らはクローゼットの中に洋服と靴を格納する。日本の畳はベッドだと彼らはわからない。余談だが、玄関の整理整頓の風景、また来客が玄関を上がる時、靴の揃え方で教養、育ちが歴然と判別する、それで人間が判定できるのです。揃えて上がらねばいけませんね、いい年して脱いだまま上がつている人がいる、育ちが一発で判明する。これでは一流と交際の必要な大組織内では幹部にはなれない。下駄箱生活は、日本古来からの最高の美俗です。清潔民族の誇りでもあるのです。

足の民族の姿勢動作には「立つ」ことは苦痛ではないようです。立食パーティ、立ったまま討論会、これは日本人には苦手。                座る生活の日本人には古来より「立たされる」ことは苦痛、だから、記憶がありますでしょ、小学校とか中学校では、罰として廊下に立たされた。足の民族は、走る、キックするサッカーやラグビーが得意なのです。日本には、広い広場はなかった、勿体ないから田とか畑にしていた。私の子供時代の記憶でも子供の時は神社の忠魂碑広場程度で遊んでおり行動半径は狭かった。

手の文化の民族は、内へ内へと内向的でした。足の文化の民族は、フロンティア精神が旺盛で、パイオニア精神に富む、外向的です。ヨーロッパ人がアメリカ大陸に移住するや、開拓馬車を連ねて西へ、西へと前線を伸ばし西部開拓しは名を馳せたが原住民は追いやられ多く殺された。美名の西部開拓は原住民は惨殺され侵略そのものです。僅か100年の間に5000千キロ居住権を拡大してしまった。侵略です。

もし、日本民族がアメリカ東海岸に辿り着いたら、どうしたでしょうか。その場所の環境下で最適に生きる手立てを考案し手作業で定住したでしょう。日本人は馬車を明治の初めまで知らなかったのですから。彼らは馬車から汽車、自動車、航空機を発明し全世界を一挙に制覇してしまったのです。足の文化だからでしょう!!
http://www.ncn-t.net/kunistok/5-1-toku-hikakubunmei-2-.htm

19 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 12:09:04.365 ID:raWlgxr40
日本女性にとって最大の難関は靴で
あった。男子の靴はすべてローヒールだ
からさほど抵抗はなかったが、婦人靴は
18世紀以来ハイヒールが主流となって
いた。これを品よくはきこなして、さっ
そうと歩くという「技術」は、草履か下
駄しかはいたことのない日本女性には至
難のわざであった。膝が曲がっていたり、
つま先を内側にする「ハの字形」の歩行
など、せっかくの洋装を垢ぬけないもの
にした。その後、洋装が本格化するにつ
れて、多くの女性はすっかり靴になじん
でいる。 増田家淳
★『きものの生活史』から。膝が伸びず、
足をひきずり、しかも「ハの字形」は今で
も頻繁に見られる。和服を着ていた伝統が
今も身に滲みついているのだろうか。外国
の街中を歩く人を眺めていると、かなり離
れたところから見ていても日本人だと判
る。作者は「理由は不明であるが昔の旅行
用のわらじは男性専用で、女性は普通の草
履を別のひもで足にくくりつけた」と面白
い指摘をしている。
https://www.hikaku.metro.tokyo.lg.jp/Portals/0/images/shisho/shien/public_2/131_5.pdf
20 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 12:09:46.665 ID:raWlgxr40
>>19
ハイヒールは「女性性の象徴」でありながら
同時に「日本人のコンプレックス」の象徴でもあるということだ
21 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 12:10:25.040 ID:raWlgxr40
片岡義男の『銀座で夕食の約束』と
いう小品の描写である。
〈彼女たちは、二十代後半の、ほとんど
おなじ背丈の、ほどよくほっそりした、
よく似た体型をしていた。…〉
 履いている靴まで似ていた。ヒールの
低い平凡な黒い靴である。なのに、ふた
りには決定的に異なったところがあった。
〈それは、歩道を歩いていくときの足音
だった。ヨーロッパの白人女性の足音は、
片仮名の音で書くと、コッ、コッ、コッ
という音だった。コツ、コツ、コツでは
なく、ツの字を小さくして、コッ、コッ、
コッだ。一歩ごとに、彼女の足音は、そ
の前後の音から独立して、くっきりと切
れていた〉
 では、日本女性のほうはどうだったか。
 片仮名での再現はなかなか難しいが
「試しに書くなら」「ガタコーラ、ガラコー
タ、ガコラータというような音だった。」
関川夏央
★『中年シングル生活』の「やさしい足音、
かたい足音」から。足音の聴き方もいろい
ろある。同じ聴くなら楽しく聴くほうがい
い。志賀直哉は「夜、戸そ外とをさくりさくり
音をさせながら人が通る。寝ながら聴いて
いると、それが如何にも親しみのある落ち
ついた気持にさせた。(プラトニック・ラ
ブ)」と書いている。だが平成六年の歌に「門
前に軍靴の音す息つめて兄かと思えば聞こ
えずなりぬ 山本矩子」という深刻なもの
もある。近ごろの密閉性の高い建物に暮ら
していては、夜間に外を行く足音は聞こえ
なくなってしまった。

西洋人が日本にやってきて、無気味
に感じることのなかに、日本人が靴底を
地面にすって歩く音がある。日本では靴
底を地面に対してひきずるように歩く人
が、意外に多い。
 西洋のお化けには、日本とちがって足
がある。そして靴底をひきずって歩く。
多くの日本人が靴底をひきずって歩く音
は、まさにお化けがやってくる音だ。
加瀬英明+アンドリュー・ホルバート
★『背広とチョンマゲ』から。初めて日本
に来た気の弱い西洋の婦人は、靴底をする
音を聞くとおびえるという。靴を引きずっ
て歩くと、早く減るので足を上げて歩くの
だという。ヨーロッパのどの国においても
靴は貴重品だった。西洋人の歩き方がその
ような経済的な理由からくるものであると
したら、経済大国の富民である多くの日本
人は、靴の減ることなどそれほど気にはし
ていないから、永遠にズルズル靴底を擦っ
て行くことになってしまう。
https://www.hikaku.metro.tokyo.lg.jp/Portals/0/images/shisho/shien/public_2/149_5.pdf

22 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 12:12:51.720 ID:raWlgxr40
>>21
この日本人の、特に女性に「すり足」が目立つのはなぜかというと
それはやはり座敷のタタミ空間が理由だ。足音を立てない、特に女性は男尊女卑の社会においてはそうしたことが徹底されてきた
なので就活などで社会に出る際にハイヒールを履き始めると歩き方が不自然になる人が多い
つまりすり足で歩く人=ハイヒールでの歩き方が汚く見える人ということだが
自分の意思がどうであれ「日本的因習への徹底服従」が強烈な人ほど、それは世界標準のマナーからすると野蛮になるということだ
23 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 12:13:26.743 ID:raWlgxr40
洋服というのは、「靴を脱いだ時に
まともに見えるか」ということは、全く
考えられていないつくりなのだと思いま
す。
たとえば立派な料亭のお座敷に、仕立
ての良いスーツを着た紳士がいても、靴
下だけしか穿いていない足元を見てしま
うと、間が抜けた感じがする。・・・
その点、和装では履き物を脱いだ時の
ことがちゃんと考えられています。なに
せ、草履や下駄からして、最初から足袋
を外に見せる構造になっている。足袋は、
そのままで室内を歩いても全くおかしく
ない。・・・
そもそもスリッパは、なんのために存
在しているのでしょうか。現在の日本で
は、たいていの人は洋服を着て、家のな
かでは靴を脱ぐという生活をしていま
す。靴を脱いで家に上がると、本当は隠
されているべき足の部分は、むきだしに
なります。スリッパというのは、その時
の情けない感じを隠すための道具なので
す。
酒井順子
★『モノ欲しい女』の「スリッパ」から。
こういう見方もある。洋服との関係からの
考察はユニークで、しかも説得力がある。
西洋人はいったん靴を脱いでベッドに入っ
たら、翌朝また靴を履くまでの間はスリッ
パになる。靴とスリッパの補完関係を仔細
に調べれば、それがすべてを説明してくれ
るのだが、小説はそんなことまでは書かな
い。
https://www.hikaku.metro.tokyo.lg.jp/Portals/0/images/shisho/shien/public_2/131_5.pdf
24 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 12:14:44.842 ID:raWlgxr40
>>23
このスリッパに対する考察は大変興味深い
この分析を見た後にこの光景を見るとやはり「ドキリ」とするのだ
レス24番の画像サムネイル
レス24番の画像サムネイル
25 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 12:16:16.161 ID:raWlgxr40
日本人はカミ・シモの区別が峻烈で、
足に穿くものを愛玩の小道具にしないが、
西洋人や中国人にとっては靴はフェティ
シズムの対象になるらしい。しかし私は
もっぱら、シンデレラ幻想で、ガラスの
靴に愛着している。…
  私がはかない物をあつめるのは、
  「驚かされたい」
   という気分があるからだ。ガラスの靴
の光彩陸離、私は眼がちかちかして、靴
がタカラモノになるという発想に、驚い
ているのだ。靴をてのひらにつつんで撫
で、賞玩するという自在の観念の飛躍に、
あたまのなかを洗滌された気がしている
のである。
田辺聖子
★『手のなかの虹』の「靴、わがシンデレ
ラ」から。花瓶、小物入れ、キイホルダー
やコーラのボトルキャップなどに靴のミニ
チュアは使われている。だが日本ではそこ
まで。あちこちの靴屋さんが、生まれて最
初に履いた靴を金や銀で加工して保存する
キャンペーンを実施しても、たいてい空振
りに終わってしまう。外国の親なら普通に
行っている“儀式的慣行”が日本にはない
のである。日本人のよくやる“ヘソの緒”
を残しておくぐらいの親心が、はきものの
上にも芽生えてくれるとうれしいのだが。
https://www.hikaku.metro.tokyo.lg.jp/Portals/0/images/shisho/shien/public_2/146_6.pdf
28 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 12:17:34.244 ID:raWlgxr40
>>25
この論は非常に本質をついている
そしてこの「カミ・シモ」の区別の根源こそ畳であるし
海外における「靴はフェティシズムの対象になる」を日本で成立させるとスレタイになるということではないか
26 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 12:16:23.545 ID:9w57kFy5M
ニッチ性癖は一人でシコってろよ
同意を求めんな
29 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 12:18:00.218 ID:raWlgxr40
>>26
これはニッチではなく日本人全域に共通する論理なんだよ
気づいていないだけで
27 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 12:17:18.758 ID:XKr7RhaS0
よく分からん長文はいいから嗅がせろつってんだろうが畳キチゲェが
30 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 12:18:12.260 ID:raWlgxr40
>>27
まあ読め
そうすれば救われるから
31 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 12:18:48.704 ID:raWlgxr40
さて、日本の玄関ドアの直後にあるわずか90センチ四方(畳半畳分)のスペースで「靴を脱ぐ(上がる)」という行為は、
実はわれわれが考えているよりもはるかに大きな心理的バリアを、その地点を通過することによって、人々に与えているのである。
なぜなら、一旦、家の中に靴を脱いで上がった以上、その家の人(と同様)と見なされ、そこから逃げ出そうと思しても、
もし靴を隠されでもしたら裸足で逃げなくてはならなくなる(註:屋内とは逆に、裸足で外を歩く人は変人と見なされる)からである。
よく、政治家同士の会合(裏取引)や同業者同士の談合が、彼らの本来の「職場」である議会や会社等の公的施設で行われずに、
「料亭」などの「靴を脱いで上がる」私的施設で行われるのは、そこに居合わせた列席者一同に「一蓮托生」を意識させるための儀礼の場として必要だからである。
単に公費(機密費や接待費等)による飲み食いが目的なら、個室のある一流レストランでも高級クラブでも十分なはずであるが、それでは、この「儀礼」を終えたことにならないことになるからである。

  本論の冒頭で、「明治以来、日本のパブリックな空間においては、原則として土足ということが守られてきた」と述べたが、唯一そうでない空間がある。それは、お寺の本堂などの宗教施設である。
昨今では、生活の洋風化に伴い、正座が苦手な人が増えて、お寺でも椅子席のところもたくさんあるが、それでも、ほとんどの寺院は、やはり靴を脱いで本堂に上がる形式である。
このことは、法事に参列する人々(親族)や法要に参拝する人々(檀家)に対して、靴を脱がすことによって、擬似的な家庭的一体感というものを感じさせ、
なおかつ、瞬時に「その集団から抜けられない」ということを、暗示するさせる装置なのである。同じ宗教儀礼でも、誰でも参列できる葬儀や、不特定多数の住民(氏子)が参加する神社の祭りなどは、たいてい「土足」で行われる。
http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r12-120.htm

34 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 12:21:38.373 ID:raWlgxr40
>>31
ここまで和室という空間を聖域みたいに扱ってきたが
一方でその空間特別性が「越後屋おぬしも悪やのう」の不浄・腐敗の光景をももたらしているということだ
>>15でいったような「境界を突破した平等な空間」というものが醸成されると、異なる立場の人間同士が本来あり得ない悪をもためらわずできてしまう。そこは現実(パブリックスペース)離れした場だから

仮にそのような現場に「マルサの女」がハイヒールで上がり込んだら、こっちが今度は正義になるわけである
そこにこそ「興奮」しない方がおかしいだろう

32 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 12:19:29.313 ID:ZHBzVpMnd
畳ガ●ジまだいたんだ
33 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 12:19:32.017 ID:Hxn/O267a
画像貼れよ
黒スト正座ポーズを足裏見えるやつで
42 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 12:40:19.670 ID:raWlgxr40
>>33
画像はいつもやってるからいい
たまには長文だけの座学もあってもいいだろ
35 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 12:21:55.562 ID:raWlgxr40
「日本人は靴を道を歩く戸外の道具と思っているが、靴は西洋では立派な客間にも入って行くし、
寝るまで沓いているものなんだ。だから靴はとても人に見られているものなんだね、土足じゃ困るんだ。
君は知るまいが、西洋の女は裸になっても靴を沓いていて、バス・タブの前迄行って、そして湯に入る。
一寸ばかり良い眺めなんだが、それはそれとして、そういう訳けだから、西洋でちゃんとした社会に入るためには靴に気を付け
なさい。殆どの日本人はその点で落第だから-」 團伊玖磨
★『さよならパイプのけむり』から。1956年、パリで藤原義江からそう教えられたのだという。
近ごろ余り聞かない形容だが、“バリッ”としたスタイルの人といったら、私は第一に藤原を思い出す。
それにしてもバス・タブに入る女の仕種を例にとるところがいかにも艶福家だったテナーらしい。
https://www.hikaku.metro.tokyo.lg.jp/Portals/0/images/shisho/shien/public_2/134_5.pdf
37 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 12:28:01.288 ID:raWlgxr40
>>35
これも非常に真理に近い
日本では土足が最大マナー違反だが、海外ではみだりに素足を見せることがマナー違反であるし単なるマナーだけでなく「美しさ」にも通じる
その矛盾をついている
レス37番の画像サムネイル
レス37番の画像サムネイル
この抜粋から一つ気づくことが
日本では電車内で座席に足を上げる時に必ず靴を脱ぐ(脱がないと罪とされる)が海外は逆ということ
海外なら脱ぐ方が罪であり、脱がない方が正しいとされるのだ
それは清潔性ももちろんだが美意識の違いがあるのではないか
36 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 12:26:09.228 ID:zhDUlyni0
親が泣いてるぞ
38 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 12:28:24.196 ID:raWlgxr40
映画『ワーキング・ガール』の冒頭には、主人公テス役のメラニー・グリィフィスがリーボックを履いて出勤し、
会社に着くや引き出しにしまってあるパンプスを取り出す場面があった。
日本のOLにとって、あの場面はカルチャーショックだった。というのも、わがジャパニーズOLは、やることがまったく逆。
とっておきのパンプスで出勤し、オフィスではサンダルに履き替えるのだから。
島村麻里
★『バービー、あなたはどこへ行くの?』から。
アメリカ人にとってオフィスは「戦場」、締りのない格好は許されない。日本人にとって職場は「イエ」の延長だからくつろぐことが認められる。
どちらがいいというのではない、ギャップをお互いに認め合えというのが彼女の言いたいことらしい。職場におけるギャップは埋まりつつある。
私が驚いたのは、引き出しに靴をしまうことである。日本では脱がれた靴の定位置は机か椅子の下で、こちらのギャップは深いものがあり、簡単には埋まりそうにない。
https://www.hikaku.metro.tokyo.lg.jp/Portals/0/images/shisho/shien/public_2/136_5.pdf
39 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 12:32:50.017 ID:raWlgxr40
>>38
https://www.youtube.com/watch?v=m97ik_nbQgo
ここでいう職場は「イエ」の延長というのも日本的だと思う
日本でブラック企業が多くなるのは、大家族主義的な感覚でつまり職場が外のパブリックではない「私的空間」になってしまうからではないか

たとえば仕事で以前、蒲田のとある貸家に行った際に、見た目は普通のオフィスビルだが実は創業は民家の軒先で、当時の家屋を建て増ししてビルにした場所だったというのを教えてもらったことがある
本来なら座敷の部屋である場所がまさに応接間だった。そこでは畳は取り払われていたが、玄関で靴を脱ぎスリッパがあてがわれる「二足制度」だった

いまではちゃんとした会社でも創業は中小企業がほとんどなのが日本だから
そういう日本人的な労働観、空間認識が醸成されるのかもしれない

40 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 12:33:16.735 ID:raWlgxr40
日本では靴選びの時、靴が十分に足をサポートしてくれるかどうかと言うことよりも、脱ぎ履きのしやすさのほうが重要視されてきました。このことは日本家屋の構造に大きな原因があります。家屋内では靴を脱ぐ習慣があるために家の出入りの度に頻繁に靴を脱ぎ履きする必要があるからです。 
 それに対して、室内でも靴を履く習慣の西欧から入ってきた靴やブーツは、長い時間履き続けることを前提に作られていますから着脱の容易さはさほど重要ではなかったのです。日本でも以前は用途によって多様な履物を履き分けていました。
 例えば江戸時代、人々は家のまわりでは下駄や草履を、長旅をするときは草鞋を、と言う具合に履き分けをしていたのです。草鞋の紐は長旅の足元を支えるサポーターとして重要な役目をしていました。
 ところが靴が普及するにつれて、この履き分けの習慣が何処かに行ってしまいました。本来、草鞋と同じく紐を締めることで足をサポートする靴などの履物を下駄や草履のように紐をしたままの状態で脱ぎ履きするようになったり、パンプスやローファーがその着脱の容易さから広く使用されるようになって行ったのです。
純粋に足と体の健康を考えれば、これらの靴は使用すべきではありません。

 現実には、学校や会社で制服の一部として着用を義務ずけられていたり、前に述べたように、脱ぎ履きの容易さから、土足厳禁の日本家屋への上がり降りに便利であったり、また、礼装用として一般に認知されてしまっている以上、すぐに他の形の靴にとって変わることは難しいでしょう。
 どうしてもパンプスやローファーの使用が避けられない場合、それらが『体に悪い影響を及ぼす靴』だという自覚をもって、その着用は必要最小限にとどめ、長時間の使用を避けるべきでしょう。
 礼装用の革靴のすべてが足に悪いのではありません。ヨーロッパの伝統的な礼装用の靴は大半が足をしっかりサポートするタイプでした。機能性を無視して装飾性のみを重視した靴が一般化したことがいけないのです。
http://kutsuya.biz/talk_about_shoes_and_feet/entry-35.html

41 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 12:39:44.404 ID:raWlgxr40
>>40
そもそもパンプスがなぜ日本ではマストな作法なのか
その成り立ちが「土足を禁ずる畳文化」ということも触れておきたい
ローファーにしても制服に合わせて履く職場環境のOLだっている。理由は同じだろう
https://video.twimg.com/ext_tw_video/1434856255646928902/pu/vid/720×1280/l_KcUtLnzu6Ulj_o.mp4
女子高校生がローファーを履くのも先々社会人になってパンプスに馴染みやすいために義務化されている面もあるだろう
学生服が軍服に慣れるように水平のセーラー服が採用されているように
45 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 12:48:38.049 ID:raWlgxr40
>>40
ちなみに学校で玄関で靴を脱ぐのは
江戸時代の学び舎が藩校・寺子屋で畳部屋だったから
その名残で戦前であれば(田舎なら戦後でも!)多くの公立学校は従来の学び舎の和風建築を引き続き流用ないし踏襲し
畳敷きの教室が多かった
同じ学校でも大学は土足でいいのは、大学教育を欧米から持ち込んで導入した際にその意向が強く反映されたからだと言われている
レス45番の画像サムネイル
そして上靴(上履き)という概念の起源と語源は「上沓(うわぐつ)」だ
実はこれはスリッパとまったく一緒なのだ
上沓とは幕末以降に西洋人が畳の部屋に靴のまま入ってしまう問題を解消するために発明されたものが
それが学校で用いられる上履き、家庭などで用いられるスリッパに後々分岐した。会社でOLが履くサンダル(看護婦が履くナースサンダルも)も同じルーツなのである
43 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 12:40:35.980 ID:raWlgxr40
日本人の「はきもの」の着脱は、日本の「あし文化」のなかの一つとしてそ
の独自性が色濃く表れていることが、本章の考察によって明らかになった。
前章まででは、日本人の「あし」を形態的・機能的・言語的・概念的側面か
ら考察し、日本の「あし文化」は「あし」自体だけでなく、「あし」のための
付属品である「はきもの」のための行為(着脱)にもその独自性が反映されて
いた。
しかし、日本人の「はきもの」の着脱の独自性については、もう一つ再考す
べき点があったことを述べておきたい。それは、日本人の「はきもの」の着脱
の行為を改めて分析すると、日本人は汚れを「内」に入れないために「はきも
の」を脱ぐのであるが、外用の「はきもの」を脱ぐと次には内用の「はきもの」
であるスリッパや上履きを履く。そして、その「内」のなかでもトイレではト
イレ用のスリッパに履き替えるなど、日本人の「はきもの」の着脱は「はきも
の」からの離脱というより、「はきもの」から「はきもの」へと移行なのであ
る。この点に関して、少し見方をかえると欧米人が一日中同じ「はきもの」
(靴)を着用し、夜ベッドに入る時にようやく「はきもの」を脱ぐことと、日
本人が種々の「はきもの」を常に着用し、寝床に入る時にようやく「はきもの」
を脱いで裸足になることとあまり変わりはないようにもみえるのである。
すなわち、日本人の「はきもの」の着脱には、玄関など内と外がはっきりし
た場所で行う着脱一があり、内に入ってからもその空間によっては、専用の
「はきもの」の着脱を行う着脱二が存在する。そして、この着脱二においては
その「はきもの」が共有するものであれば、脱いだ「はきもの」の始末の作法
が適応されるのが現代日本人の「はきもの」の着脱なのである。
https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/3/38538/2015121014524963747/k6770_3.pdf
44 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 12:42:00.084 ID:raWlgxr40
>>43
これも非常に日本人的概念を考察している
個人というものを軽視する日本。個より集団、人間より環境を重視するという
海外のヒューマニズム(基本的人権)と矛盾する道徳、美学、そういう哲学がすべてここに凝縮される
46 名前:ひみつの名無しさん 投稿日時:2021/10/07(木) 13:00:05.459 ID:raWlgxr40
現代日本人は
かたや「現代人」であり、世界標準の礼儀作法やマナーを習得している。先進国である日本はなおのこと、南半球やアジアの土着民の国より国際標準に近くあるべきだと
しかしながら「日本人」でもあり、古来からの伝統文化や因習も引きずっている。世界のどこの人種にも一見すると普通の人でも「宗教上の理由で譲れない」タブーがあるように、日本人の場合は畳タブーがある

「畳とハイヒール」はそこで真っ向矛盾するのである
ハイヒールは本来西洋人の靴で、ハイヒールに求められるマナー(歩き方、立ち振る舞いだけでなく)は日本人女性にはなじまない
しかし畳文化があるからこそ足に当てはめるだけで着脱しやすいパンプスは作法して定着した。だから座敷で行う法事の喪服・礼服はパンプスだし、玄関で靴を脱ぐ職場の事務員OLは中ではサンダル、通勤はパンプスで、家に帰れば玄関で靴を脱ぐ

そしてウチ・ソトである
その「ウチ(日本)ソト(海外)どちらの美意識・道徳か」の葛藤が発生するのが畳ハイヒールである

それはウエ・シタでもある。これは何も空間(玄関を上がったウエのそのまた「敷居の高い」畳間の上座)を意味しているわけではなく
上司やお客という逆らえない立場から、この畳の間にパンプスをはいたまま上がるようにと言われた時にどう対応するかということにもつながるのである

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